いつの間にか減った「可哀想な私」の出番
こんばんわ まーるです。
3月いっぱいで終わったはずのこのブログ、思いがけずリンクからはずさず残していただいておりました。
それはともかく、終了のはずが「不定期更新」になったのは正直予想外。
受講前の私なら、「終わりって言ったのにぃ
なんで?」となったでしょう。
でも意外なことに、わりと自然に受け入れていました。
「これも私が無意識に発したエネルギーに対して起きてきたのかな」と。
これも含め、私自身、少し変化してるかも・・と思うところがあり、久しぶりに書いてみたくなりました。
いつか、こういう日が来ることがわかっていたのかな。
4ヶ月半ぶりの更新となってしまいました。
少しだけ、お付き合いください

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現実を創造している自覚をもつ
「妄想癖がありますよね」
受講前に受けた初めての個人セッションで、先生に言われたことです。
私は空想や想像と一緒くたにして、深く考えず「そうなんです〜」なんてヘラヘラ答えたように思います。
子供のころは本当に空想ばかりしてたんですヨ。
たとえば「影の軍団」という時代劇がそれはもう大好きだった私は、あのテーマ曲をバックに、忍者として服部半蔵とともにどれだけ走ったことでしょう・・
かと思えば、どこか遠く美しい星に住んだり銀河を見下ろしたり。
あ〜恥ずかしい・・でもちょっと懐かしい^^;
そういう夢見る夢子ちゃんな絵空事ですね。
想像もわりと現実的なものとして、きっと誰でもすると思いますが、そういうものと一緒に考えていたわけです。
そう、あの時はこの言葉をまったく思い浮かべられませんでした。
「被害妄想」
医学的に・・というのではなくて、必要以上に考えすぎたり、疑ってかかったりして、心が不安定な状態であれこれ思いめぐらしてしまう、といった感じでしょうか。
この初個人セッションではとても緊張し、打ちのめされてしまいました。
そして浜に打ち上げられたヘロヘロなコンブみたいになって帰路についたわけですが・・。
ここから私の妄想が始まるわけです。
「変なのが来たとか思ってないかな?」
「でも受けなかったらHさん(私を誘ってくれた方です)に悪いじゃん」
「かえってHさんが先生に変なふうに思われたらどうしよう」
「私だって“好きで”受けたわけじゃないし、もうしょーがないよ」
「でもさ、先生が自己観察は向いてるって言ってくれたよね・・」
「誰にでも言うんだろうな。実際はあきれてるに決まってる」
「Hさんがセミナーに誘ってこなければ・・」
「だったら断ればよかったじゃん・・」
「やっぱり受けなきゃよかったな」
あんた一体誰と喋ってるの?とばかりに、頭の中で続きます。
(幸田先生・Hさん、ごめんなさい!当時はこんな風でした)
後悔、罪悪感、自己嫌悪、怖れ・・デトックス祭!
そして行き着くところは、一言で言えば「誰か(なにか)のせい」。
別にHさんや先生に対して、怒るとかそういう感情はないんです。
むしろ自分を責めていくわけですが、ただそんな責めすら負う覚悟がないので、あくまで外側に理由を作って正当化し、責任転嫁しようとするんですね。
それがいつの間にか、こういう妄想をあまりしていないことにふと気づいたのです。
ちょっと不思議に思い、ここしばらく考えていました。
私はこの初個人セッションの時、先生を前にこれ以上ないほど萎縮していました。
しかも、まるで先生にコテンパにされたみたいな気分になっちゃったんです。
そう感じたのは、あくまで私の心の問題なのですが、当時の私が「だからこそ先生の前に座っているんだ」なんて・・思えっこありません。
そう思えないから、先生の前に座ることになったんでしょうしね^^;
だから被害者意識全開で妄想して、「好きで受けたわけじゃないもん」「Hさんが薦めたから」とか理由をつけ、可哀想な私になることで現実から逃げるんですね。
もともと「嫌われるかもしれない」などからの強い不安から、無意識に自分を嫌う他者、敵を作り出すということをしていた私は、いつでもどこでも被害者でいる必要もあったわけですし。
それと受講中に、「あとからフツフツと考える→分裂していく」
と言われたこともありましたが、この「あとからフツフツ」こそ妄想ですね。
自分が受け入れられないものは、他人がやったことと思い込んだり、相手が悪くて私が正しい(その逆も)とか判断してきたことで、知らず知らず分裂していたのでしょう。
そもそも、なんで起きてきたことを素直に受け入れられないかと言えば、自分が引き起こし、創造したという自覚がまったくなかったからです。
意識的であれ無意識であれ、目の前の現実は自分が発したエネルギーに対して起きてきたこと。
受け入れ難かったり、思いがけない形で起こってきたりもするけれど、自分が創造したこと。
この自覚がなかったために、不都合なことが起きると「なんで私がこんな思いしなくちゃいけないの?」って被害妄想して外側のせいにしがちだったんですね。
露骨にその思いを口にはしないけれど、私にはそういうパターンがあったんです。
夫に「肌は白いが腹は黒い」と言われて、語呂のよさに思わず大笑いしたことがありましたが。
・・・・・・どうやら夫には見抜く力があったようです^^;
顔ではニコニコ、お腹のなかでは何やらフツフツ黒い妄想。
大笑いしている場合ではなかったのでした。
あと受講前の私は、良いことさえも素直に受け入れられず、「本当にいいのかな?私なんか・・」と幸せになることがいけないみたいに罪悪感いっぱいになることもよくありました。
これもある意味、被害妄想ですね。
なんだか残念なことしてたなぁ〜とつくづく思います。
ちなみに、この初個人セッション中、私は先生に何度も何度も言いました。
「なんでここにいるのかわからない。何かに動かされて、座らされている」と。
「他の誰かが望んだことを、私は今やらされている」と、あくまで「何か」のせいにしたかったんですね。
実際は、どこからどう見ても100%、私が選択し行動したことなのに。
自分で申込み、2時間近くかけて自宅からサロンに出向き、途中逃げるでもなく最後までセッションを受けてるんですから。
どの段階でも、やめるという選択はいつでも出来たのですしね。
私を動かし、先生の前に座らせた「何か」は、他の誰でもなく自分自身。
Hさんに悪いからとか・・そういうのが当時の私が自覚できる動機だったとしても、“好きで”受けたことには変わりありません。
まぁ当時の私は受けなきゃ受けないで、Hさんに悪かったんじゃないか・・と、やっぱり自分を責め、妄想して分裂を深めていたんでしょうけど^^;
ここ数ヶ月、あきらかに後からフツフツ考えるような被害妄想は減ったと感じています。
それはI.R.M.をとおして「自分で選択し決める」ことを意識し、「自分が現実を創造している」ということを学んだからじゃないかと思いました。
そして、そんな自覚が小さく芽生えてきてるのかな・・なんて。(そう思いたい〜)
もちろん他の要因もからみあってのことと思いますが、一番これが大きいような気がします。
だって・・自分が決めたって思うと、残念なことに可哀想な私でいたくてもいられないんだもの^^
いつだったか過去のことについて、自分が創造してきてたんだ・・・とハタと思った時、まるでテープを巻き戻すようにいろんなことが思い出され、それらがつながっていくのを感じました。
膨大な選択を自分がしてきた結果として、今の私は存在していたんですね。
「あ〜いつでもちゃんと存在していたんだなぁ・・」とふいに感じた時、なんだか静かな幸せを感じました。
違う選択をしていても、違うどこかで私はちゃんと存在しているんだな・・という安心感も。
当たり前なのかな。
でもその自覚がなかったために、私は長いこといつも不安と怖れの中で生きてきてしまいました。
正直言うと、長年暮らしたその世界は忘れがたいのか・・今でも体半分、ドアの内側に残している感じなんですけどネ^^;
けれど締め切っていたドアを開けられたことは、私にとっては大きな進歩です。
今後は過去だけでなく、未来につながる「今」を、いつでも創造しているのだという自覚をもって、意識的に日々を過ごせるように心掛けたいと思います。
すっかり長くなってしまいました・・
最後までお読みいただきありがとうございました。
まーる
